紺野道昭通信

Ⅱ.時間・人生・経営を重ねる② 人生の残り時間を意識する(定期発信-Vol.245)

当社創業者でもある祖父の葬儀に参列していたときのことです。

遺影の前をお線香の煙がゆっくりと上がるなか、親族が順番にお焼香をしている様子を眺めながら、私は家族の世代を頭の中で並べ、祖父の次は父、そして自分の番もいつかやってくると考えていました。

年齢順に逝くとは限りませんが、このとき祖父を見送ったことで、私は初めて自分も順番の中にいるのだと実感しました。

それまでは、自分の死をどこか遠くに置いていたようです。

それが祖父の逝去で世代が一つ進み、自分の番も一つ近づいたように感じたのです。

 

「次の次は、自分だな」

 

そう思った瞬間、時間の見え方が変わりました。

身近な人が亡くなった年齢を一つの目安にすると、自分に残された時間はあと何年あるのか。

今日という一日の重みが少し変わりました。

自分に残された時間の有限性に気付き、今ある時間を大切にしなければと感じました。

 

健康なときは「まだ大丈夫」と考えがちで、今までできていたことがこの先できなくなるかも..などと考えもしないでしょう。

しかし歳は確実にとります。

永遠になど生きられません。

だから私は、「いつか」という言葉を、あまり信用していません。

 

いつか時間ができたら

いつか会社が落ち着いたら

いつか家族に恩返しをしたら

いつか後継者が育ったら

 

いつかが、必ず来るとは限らないからです。

残り時間を意識するというのは、自分にとっていちばん大切なことを、後回しにしないということです。戦禍や大災害、最近ではコロナ禍、何度も私たちは「当たり前の日常は、当たり前ではない」ことを目の当たりにしてきました。

喉元過ぎれば云々と云われますが、多くは時間の経過とともに忘れてしまいます。

あまりにももったいないと思います。

人が大病をした姿を見たら、自分の健康管理を見直す。

事故の話を聞いたら、自分の運転を改める。

災害が起きたら、備蓄や避難経路を確認する。

良いことは真似て、悪い結果を見たら反面教師にすればいいのです。

 

残り時間が表示される時計を持って生きている人は一人もいません。

だからこそ、ときどき立ち止まり、自分に残された時間について考えなければなりません。

祖父の葬儀で感じた思いは今も私の中に残っています。

それは死を考えるためではなく、今日を、いつかのために使い切ってしまわないためにあります。

 

 

※生成AIで作成